「エリトリア」出たっきり邦人@ケニア第7回

このエッセイは3人の子供を連れてケニアに住んでいた母が、2005年11月に書いたものです。

「出たっきり邦人・中南米・アフリカ編」というメルマガで配信していた内容を、一部編集して紹介しています。

ケニア共和国・ナイロビ発〓

ケニアよもやま話 第7回 「エリトリア

今回は、日本人にはあまりなじみのない「エリトリア国」についての報告です。
夫はケニアに駐在しているものの、実はセーシェルエリトリアにも関する仕事をしておりますので、今までエリトリアには2回ほど出張に行きました。

これがまたケニアから距離的には近くても遠いんですねぇ。
本当はエチオピアがお隣の国なのでそこの人たちがみてくれればいいのだけれど、エリトリアエチオピアから戦争によって勝ち取った独立であることもあり、仲が悪く、エリトリア人の感情的にはよろしくない。というわけで、ちょっと離れてはいるもののケニアからエリトリアの仕事をすることになります。

ケニアからのルートは、アラブ首長国連邦のドバイ経由か、カイロ経由。
カイロに行く飛行機もスーダンハルツーム経由だったり、ドバイからエリトリアへの飛行機もジブチ経由だったりして、離着陸も多し。
フランクフルトからだと直接エリトリアに入国できるのだけれど、ケニアからフランクフルトへの直行便もないし、お金も高いので使えません。毎日飛行機が飛んでいるわけもなく、週2日飛んでいるだけでもまだいいのかな?

今回、夫が悩んだ末しぶしぶ選んだのがカイロ経由。
行きのカイロでの乗り換えは、時間が短すぎて、空港内を航空会社のバスが猛スピードで走り何とか間に合い…、帰りはカイロに朝6時ごろ着き、ナイロビへの飛行機は23時半発。
丸一日あったのでカイロ観光を楽しんだようです。ただ、エリトリアからカイロへの便もあまり眠れず、カイロからナイロビへの便もハルツーム経由なので、離着陸時席を起こしたりしなくてはならず、結局あまり眠れない生活が丸2日間続くので、帰ってきたときにはへとへとでした。

さて、話をエリトリアに戻します。

大きさは北海道と九州とを併せた広さとほぼ同じで、人口は430万人(2004年国連人口基金)、首都はアスマラ(高度なんと2400m)、部族は9民族、言葉はティグリニャ語を中心にアラビア語、諸民族語などが話されており、宗教はキリスト教イスラム教などだそうです。エリトリアにいる日本人は現在10人もおりません。日本にいると登録されているエリトリア人もそのくらいだそうです。

歴史としては、1890年にイタリアの植民地支配下に置かれ、1942年にイギリスの保護領となるまでそれが続きました。
だからか、イタリア料理や、エスプレッソなどのコーヒーはおいしいらしく、出張中はパスタばかりを食べる毎日らしいです。また、日本でも白人を見たら「アメリカ人だ」という人がいる様に、エリトリアでは白人は「イタリア人だ」といわれるらしいです。もちろん、日本人の夫は「中国人だ」といわれます。これは世界どこでも共通ですよね。

その後1952年に国連の決定により、エチオピアと連邦を結成、その10年後にはエチオピアに併合されてしまいます。そして、そのまた10年後の1972年にはエリトリア人民解放戦線ができ、1993年には国連監視の下の住民投票もなされ、めでたくエチオピアより独立。

ところがどっこい、そう簡単に諦めませんよ、ということで、1998年にエチオピアとの間で国境紛争が勃発。2000年にはエチオピアとの和平合意が成立したものの、2002年になってやっとエチオピアとの地図上の国境線が確定しました。皆様のお持ちの地図では国境線でていますか?

というわけで、独立闘争は30年にもわたり、首都から少し離れると、まだ戦争の傷跡が残っているようです。でも、首都はイタリアっぽい町並みを思わせるようなつくりをしており、ナイロビとは違い交通渋滞もないし、治安もとてもよく、夜中でも道を歩けるほどだそうです。ただ、とにかく物がない、よってお土産もないとは、残念。日用店もないそうで、地図を買おうと思って、本屋に連れて行ってもらったら道端のキオスクみたいなところに連れて行かれ、そこが国一番の本屋だといわれたとか…。

そして、紅海の街マッサワまでは、延々と高地から低地への旅で、ガードレールももちろんないようなつづら折れの道を3時間弱。気候もまったく違い、海抜0mの港町に到着です。その旅の間、どこも乾燥しており、植物もあまり育っておらず、気候的にも貧しさを感じたそうです。マッサワでは砲弾の跡が至る所に残っていたそうです。

途中、現在日本の援助で建築中の橋も見学したようです。まだ建築中ですが、昔にイタリアが作った橋の老朽化が進んでいるため、新しい橋を建築しているそうです。そういえば、昔住んでいたセブでもマクタン大橋が建築中だったなぁ、結局私たちが駐在中には出来上がらなかったけれども、今頃は皆さまのお役に立っているのかしら?

エリトリアには、私自身は足を踏み入れることはない予定です。ナイロビからの航空運賃は、ヨーロッパに出るほうが安いので、もしかすると一生訪れることのない国のひとつかもしれません。ですが、アメリカ時代の知り合いに実はエリトリア人がいたことを今になって思い出しました。小柄なきれいな顔をした黒人の女性で、「エリトリアから来た」といわれて、地図でエリトリアを探してみたことがあります。

実は、最近エリトリアエチオピア国境で、両軍が軍備を増強し始めているとの報道を新聞上で目にします。詳しくはよく分かりませんが、現在のエチオピアの内紛が手のつけられないような状況になったとき、もしかしたら国民の目を一つに向けるためにエリトリアエチオピアが戦争を仕掛けることもあるかもしれない、ということを言う人もいます。

戦争に使うであろうエネルギーを、自国の復興のために使って欲しいと願うばかりです。

**ケニア近況**
いよいよ21日に憲法改正国民投票があります。投票日の21日のみならず、暴動を懸念して22日も公休日になりました。インターナショナルスクールではその週すべて休みにするところも出てきています。憲法改正前の週末も大使館によっては各国民に外出しないように呼びかけ、食糧も充分確保するように呼びかけております。

この行動がすべて杞憂に終わることを、願っています。さて、バナナ(賛成派)かオレンジ(反対派)か?賛成派が有利という話も、反対派が有利という話も両方聞きますので、結果が出るまではどちらになるか分からない状況です。

23日(結果発表の日)、そして、その翌日に運動会が入ってしまっているうちの子供達。状況によっては、運動会に行けないかもしれませんが、無理はしないように判断したいと思います。