「現地で見るケニアの飢餓」出たっきり邦人@ケニア第8回

このエッセイは3人の子供を連れてケニアに住んでいた母が、2006年1月に書いたものです。

「出たっきり邦人・中南米・アフリカ編」というメルマガで配信していた内容を、一部編集して紹介しています。

ケニア共和国・ナイロビ発〓

ケニアよもやま話 第8回 「飢餓」

大変です。

ケニアのかなりの地域で食べ物がなくて困っております。特にひどいのは北東部地域らしいですが、こちらの新聞にはがりがりになってしまった人々の写真が載っております。ナイロビの人たちが「食べ物がなくって困っているんだ」と、どでかいからだでいうのはどうにも緊迫感がありませんが、これはどうやら本当にその地域が飢餓の状態におちいってしまっているようです。

雨が少なかったのが一因のようです。一応最近では灌漑設備のおかげでなんとかなっていた農業も、去年の水不足の前ではうまくいかなかったようです。主食のメイズの収穫量が必要量よりも去年は7百万袋も少ないんだとか…。

新聞によると政府は3億ケニアシリング(およそ4.5億円)を、被害地域の農民から家畜を購入することや、井戸を20箇所に掘ることにあてると発表しているようです。

この年末からかけて新年にケニアの国立公園に出かけた方はいらっしゃいますか?かの有名なマサイマラにいる動物も、水不足のためにお隣のタンザニアのセレンゲッティ国立公園に移動してしまい、あまり動物が残っていなかったと地元紙が伝えておりました。

家畜用の草がなくなってきているため、野生動物保護区の中に家畜を入れさせて欲しいという願いもあるようで、実際マサイマラの中には既に付近に住むマサイ族が牛を放牧しているらしいです。家畜動物と野生動物の共存、難しいテーマなのでしょう、私にはよく分かりませんが。

ナイロビに住むようになって1年。またナイロビの過ごしやすい夏がやってきました。そして、赤い布を身にまとったマサイ族の男性も放牧中の牛とともに市内でみかける時期になってきました。そして目に付いた新聞記事の一文、7児の母の言葉として『ほとんどの男達が高地に家畜たちとともに移動してしまいました。妻や子供達には食べ物もまったく残されていません。』と…。

そうだ、市内でみかけるマサイ族のあんた達!奥さんや子供はちゃんと食べてるの?これから数ヶ月ここにいるだろうけど、仕送り(するわけないよな)はちゃんとしているの?まさか自分だけよければいいや、なんて思ってるんではないでしょうね!

なんて、考えてしまいます。今までは、市内でマサイ族が牛を放牧しているなんて、ナイロビの街にアフリカらしさを感じられていいわー、と思っていたのですけどね。

でも彼らにしたら、家畜をみすみす殺すわけにはいかないし、放牧するとしたら今までもずっと男達だったのだろうし、彼らはきっと「残されたものはそれはそれで何とかやっていけるさ。今までもずっとそうだった」と、達観しているのだろうな。

それにしても、厳しい世界だ…。

さてこうなると、いつもは「人に頼ってばかりではなく努力しなさーい」と思っている私でも、何か援助をさせてもらいたくなります。私に出来ること、なんだろう?

新聞にNGOの銀行口座が載っていたので、それが一番確かかしらね。スーパーの軒先に「援助食料品を寄付してください」という箱を見たりするけど、いつも中身は空。さくらで数品いれておきなよ、とも思うけど、盗難にあうのが嫌なのだろうか?またそういう形で援助しても、多分途中でどこか別のところに流れてしまい、本当に援助したいところには行かないよな、と思う人も多いはず。

誠意を届けるのも一苦労なのが、発展途上国。困っている人を差し置いて、困っていない人を助けてしまうことだけは、避けたいですね。

今年もまだ雨が余り期待できないらしいですので、これからもっと状況が厳しくなることが予想されます。4分の3を水力発電に頼っているケニアでは発電量にも影響が出てしまい、経済的にも影響が出てしまいそうです。

雨を心待ちにしています。