「『チャリティー精神』に悩まされる」出たっきり邦人@ポーランド第11回

このエッセイは3人の子供を連れてポーランドに住んでいた母が、2009年1月に書いたものです。

「出たっきり邦人・欧州編」というメルマガで配信していた内容を、一部編集して紹介しています。

ポーランドワルシャワ発〓
ポーランド便り 第11回 「チャリティー精神」

新年明けましておめでとうございます。

昨年は日本で年末年始を過ごすことができましたが、今年はワルシャワの自宅で新年を迎えることにしました。こちらの人は、ロケット花火をとばして祝う人も多いようで、この時期スーパーにロケット花火が並びます。

フィリピンのときも年の変わり目は花火でした。しかも結構大掛かりな仕掛け花火。
ここでは外は零下なので窓を閉め切っていて音もあまり聞こえないし。煙なんて入ってくるわけもない。
比較的静かな新年が迎えられました。

とはいえ、紅白歌合戦を見るわけでもなく、初詣に行くわけでもない。今年の干支も良く分からない。平成何年なのかも、すぐには出てこない。結局、年賀状も出さなかったし・・・。
日本のお正月はいいですね。鏡餅やしめ飾りを飾って大晦日の夜には除夜の鐘。
元旦には、おとそ、お雑煮、おせち料理と初詣。うちの子供たちには、日本に帰国することになったら体験させてあげようと思ってはいるものの、いつになることやら。

まあ、それはそれとして・・・。
今年も「自分のいたらなさを痛感する時期」が無事過ぎました。なにって?それは「寄付の時期」。

日本ではそうでもありませんが、以前住んだことのあるすべての国で悩まされました。
もちろんポーランドでも。
みんなが慈悲深い気持ちになるべき季節=クリスマスシーズンはいろいろなところで「寄付」を要求されます。もちろん、強制的な寄付はほとんどありませんが、だから余計、自分の慈悲深さを試されているようで毎回これでよかったのだろうか?と自問自答。

あまりにも、回数が多くなると、私ったらそんなに人のことを助けている場合なのだろうか?
3人の子供の学費だってケチっているくらいなのに、とかいう考えが浮かんできます。

寄付の使われ方がもう決まっている場合はまだ寄付もしやすいけれど、去年はバザーの売上金を寄付した先が、それで購入しようとしたものはおおよそ生活必要物資とはほど遠いものだったので、本当に寄付金が必要だったのかどうかを疑問に思ったり。

ケニアやフィリピンはまだやりやすかったですね。
困った人たちやお金のない人たちはどこにでもいたので、とりあえず自分のお手伝いさんたちからはじめればよかった。みんなを助けていたら、すぐに自分自身も破産してしまうことでしょう。気持ち分だけ、手をさしのべたいだけ、ね。

かといって、こういう国では「チャリティー」を隠れ蓑に、自分の影響力を増すために、外国人の力をかりてお金をばら撒くという野心を持った人もいたりするので、そういうのに使われてしまうのは腹が立ったり。
自分の労働を苦にせずに、寄付金集めのためにいろいろな活動をしている人たちをみていると、自分がいかにケチで浅はかな人間かを反省したりするのですが、やっぱりいろいろな感情が混じり、結局そんなに気持ちよく寄付金を出せるわけでもない。

そしてまた、自分の良識の狭さを思い知り・・・。
いつになったら、仕方なく、ではなく気持ちよく寄付ができるようになるのでしょうか?
目の前の困った人を助けるのよりも、よく分からない団体に寄付するのって、私は苦手だな。
つい、目の前にいるわが子に何かをしてあげたくなってしまう。
だって、金銭面で折り合いがつかなくて、我慢していることもたくさんあるし。

結局はケチなんだな、やっぱり。
今年もよろしくお願いいたします。