「アウシュビッツ強制収容所」子供たちと行ってきました。出たっきり邦人@ポーランド第12回

このエッセイは3人の子供を連れてポーランドに住んでいた母が、2009年2月に書いたものです。

「出たっきり邦人・欧州編」というメルマガで配信していた内容を、一部編集して紹介しています。

ポーランドワルシャワ発〓

ポーランド便り 第12回 「アウシュビッツ強制収容所

「There was not one Jew killed by the gas chambers.」
先月末BBCラジオから聞こえてきた声に耳を疑った。

「は?なに?」

ガス室はなかったと思っている。20万から30万人のユダヤ人が強制収容所で死んだかもしれないが、ガス室により殺されたものは誰もいないはずだ。」という男の人の声。

「一般的には600万人もの犠牲者がいるとされている」との説明がBBC側からある。

しかも、発言の主は昔別の理由で破門された司教で、今回法王が破門を解除したと。えええーーー、それはあかんでしょ。しかも今のローマ法王ベネディクト16世はドイツ人だし、ただでさえユダヤ人にはいやな国民だろうに、大失態。いったいどうなっているの?

法王はこの司教の破門の解除したときに、この司教がこういう思想の持ち主だということまでは知らなかったみたいだけど、しかしこの手の「ホロコースト否認主義者」の存在はたまにニュースできくかも。

いつもは「いったいどうやったら、こんなことを言えるわけ?精神状態おかしいんじゃないの?」とびっくりはするものの、深く考えはせずに「変な人はどの世の中にもいるものね。」と流しておわり。しかし、今回アウシュビッツのことについて書くために資料集めをしているものの、雲行きが怪しくなってきてしまった。こういうこと言う人はきっとこれからも続くかな、という予感。

それは、あとで少し書くことにして、まずはアウシュビッツ強制収容所跡を訪れてきたことのご報告をさせていただきます。

ワルシャワから車で片道4時間、ポーランドにしては珍しく高速で走れる道が続く。今回は、夫と友人夫妻がアウシュビッツ博物館の唯一の日本人ガイドである中谷さんに案内をしてもらって見学した。私は子供たちとホテルでゆっくりとお留守番、今回は訪問の予定はなしだった。

14歳以下の子供は彼のガイドを今回はお願いできないということで、「ぜひアウシュビッツを訪れたい」と、かねてから言っていた夫を優先。私自身は以前ドイツの別の強制収容所を訪れたことがあり、あまり気乗りがしなかったのもあり、お留守番役をかってでた。

でも合流場所のアウシュビッツに早く着いてしまい、時間が余り、おそるおそる子供たちと収容所跡にいってみることになった。子供たちにはショックが大きいといけない、と思い、案内板の説明を読みながら、できるだけ事実を伝えながらマイルドに説明してみたつもり。でも、いくらマイルドに説明してもむごいものはむごい。

人体実験、簡易裁判による処刑、「死の壁」といわれる処刑所、処刑前の脱衣所。なるべく建物の中には入らないように、ショッキングなものをみないようにしたので、写真もあまり見なかったけれど、1時間だけいて、夫たちのツアーが終わったようだったので、そそくさと立ち去った。

母の私に勇気がなくて、今回はガス室、焼却炉、処刑前に切られたおびただしい数の髪の毛のある場所、などには連れて行かなかったし、近づきもしなかった。今回は子供たちにも予習させていなかったので、次回に先送りすることにした。

しかも、あまり人間の残酷なところばかりが彼らの心に残ってもいけない、と思い、「デンマークでは多数の国民が協力してデンマークユダヤ人のほとんど(96%)を中立国のスウェーデンに逃がしたの。そのころ、ヒトラーに逆らうなんて勇気のあることだっただろうに。」と、人間の善の部分も紹介。雑学もたまには役に立つわね。サンキュー、サンディ(*Sandi Toksvig 私の大好きなコメディアン。デンマーク人だけどイギリスで活躍)。

さて、実際に強制収容所跡をみてきて、こんなことは繰り返されてはいけないと思うし、ホロコーストの事実は否認できないと思う。

でも最初に書いたように、否認論者は多数存在する。「事実の認識」に必要な証拠の数々にグレーゾーンがあることは確かだと思う。統計上のユダヤ人の数が「戦前の数―虐殺されたとされる数=戦後の数」となるはずのところが、そうはなっていないので、虐殺されたとされる数が人によってバラつきが出てしまう。そういうところが、否認論者たちが付け込むところなのだろう。

これに関しては、この時代の統計にのっていないユダヤ人なんて山ほどいただろうと思うので、私は統計の数字自体を信じない。

戦後の「ニュルンベルグ裁判」のすべてを信じるわけにはいかないのは、ソ連ポーランド人の大量虐殺という自分の罪をドイツに押し付けていたことが最近認められた「カチンの森事件」にも証明済みのとおり。アウシュビッツ記念碑には150万人という犠牲者の数が刻まれているものの、これは1995年に差し替えられたもの。これの前は、そのニュルンベルグ裁判でロシア側が提出した資料に基づく400万人という数が刻まれていた。ソ連は冷静時代いろんなプロパガンダを行ったことは周知のとおり。

ドイツを悪者にするための戦勝国によるプロパガンダだ、と思う人たちがいるのでしょう、これから先も。イスラエルの建国を助けるためのプロパガンダだとも。

いろんな人間で成り立っている世の中ですから仕方ないことと思う反面、それなら『アンネの日記」のアンネはどこに消えた?ハイム・カプラン氏は(*『ワルシャワゲットーの日記』の作者)?ポーランドにいた多数のユダヤ人は?

虐殺は確かに存在した。ただユダヤ人だというだけで、障害者、同性愛者だということだけで、アリを足で踏み殺すように殺す施設があったのが事実。どうしてこういうことが起きたのか?

ケニア時代からの息子の親友のイスラエル人の子に似ている顔立ちの子の写真には涙がでます。この子も、利発で、甘いものが大好きで、ニワトリを追い掛け回すのかしら?泥んこになって遊ぶのかしら?

きっと、いい大人になっただろうに。

息子は今回車内で留守番をしていたので、アウシュビッツ未体験です。
彼をいつ連れて行くことができるかな?やっぱり親友に似ている子の写真は避けたほうがいいのかな?

今になって思い出すのは、彼のおばあさんはポーランド出身だといっていたこと。今になって、その事実を重く感じます。

まだたった60年前の出来事。

「There was not one Jew killed by the gas chambers」なんて言ってはいけません、やっぱり。