【帰国子女の日本語教育】小学生の私に母がやってくれたこと

私は小学生低学年のとき、ブリティッシュスクールに通っていました。
学校で英語を話しているので、いくら家で日本語を話していても、日本語が苦手になってしまう可能性がありました。子供は吸収も早いですが、忘れるのも早いですよね。

そこで、学校で英語や多様な文化を学ぶ代わりに、家で母が日本語教育をしてくれていました。

私たち三兄弟は海外生活を8年経験していますが、日本語を話すのも書くのも不自由だと思ったことはありません。
母の真摯な自宅での日本語教育のおかげだと思っています。

試行錯誤の上、母が私たち三兄弟のためにやってくれたことをこの記事で紹介したいと思います。

自習を習慣にするためにしていたこと

勉強時間を決める

親の監督のもと兄弟みんなで勉強をする時間」がありました。

土曜日のお昼ご飯の前に「はーい、勉強するよー」と声掛けをされ、みんなで机に向かって勉強をしていたと思います。
親が兄弟の机をまわってタスクを与えたり、丸つけをして説明したりしてくれていました。今考えるとまさに学校と同じですね。少人数教育の。

学校の授業中は勉強を自然とするように、「勉強をする時間・空間」が意図的に作られていました。それが普通だったので、抵抗感なく勉強していましたね。

ただタスクを決めて「〇〇やりなさい」というだけではなく、それに取り組む時間を設けてあったことが、自習を習慣づけたと思います。

ご褒美を与える

子供が家で勉強することを苦に思ったらとても自習を続けられないと思います。
極端に嫌がる子供を勉強させることは体力が必要ですからね。

うちは何かを達成するたびに小さな「ご褒美」をもらっていました。本当に小さなものでしたが、嬉しかったものです。基本はシールがご褒美になっていましたね。

今思うと、シールをもらったことも嬉しかったのでしょうが、「お母さんに褒めてもらえた!」という嬉しさが勉強への抵抗感を薄めていたのだろうと思います。

ちゃんと頑張ったのを見てくれていた、という認識につながったのです。きっと些細なことでいいと思います。どっちにしろ食べるおやつでも、勉強した後にみんなで食べようね、と言われると勉強の後の「ご褒美」になるのではないでしょうか。

小学生の私はこういう小さなやりがいを感じていたから、自習を続けられていたのだと思います。

「日本語の勉強をすることが日本人として大切で、将来役にたつ」なんて言われても小学生の勉強へのモチベーションにはつながりません。
目先の楽しみを作ってあげることで、「勉強するといいことがある」という考えになっていくのではないかと思います。

ただ、勉強をすればご褒美をもらえるのが当たり前、と思われると困りますよね。
やっぱりちょっと気持ちが上向きになるような小さなご褒美が最適ではないかと思います。

小テストをする

学校に通う勉強と自宅での勉強の違いの1つは、テストがあるかないかだと思います。

うちはたまに小テストがありました。ドリルなどを解き終わった後に、母が問題を出すんです。

別に合否があったわけではないのですが、素直に「いい点数を取りたい」という気持ちになって、集中して勉強できていました。
目標もないまま、ただ問題を解くと吸収速度も遅くなりますよね。
メリハリがあるからこそ集中力を発揮することができるのだと思います。

夕飯の後に唐突に漢字テストが始まることもよくありました。クイズ大会みたいな感じで結構楽しいんですよ。
リビングにある紙を適当に小さく破って各自持って、親が出題する漢字を書いていくんです。お互いから手で隠しながら。

小学生の私は単純。こういうクイズ大会みたいな小テストでいっぱい正解したい、ということがモチベーションになっていましたね。

これもご褒美を与えることと同じで、日本語の勉強がその子供にとっての目先の喜びにつながるようにすることで、自習を続けられるだと思います。

教材の調達はどうしたか?

漢字問題を自作する

母が漢字問題を自作してくれていました。
エクセルシートに読み仮名を羅列して、印刷して使っていましたね。

本の学校で勉強するときも、漢字ドリルをやっておしまいではありません。ドリルとはちょっと違う形式も問題でテストがあります。家でも同じようにやったほうが効果が高いと踏んだのでしょう。

漢字をただ「知っている」だけではなく、「使える」レベルにまでマスターできるように、
いろいろな方向からアプローチをしてくれていました。

私が今、漢検2級をもっているのも、このときの母のおかげです。私たち兄弟の教育のことを常に考えて行動してくれていたことに感謝しかありません。

通信教育を受講する

自作教材だけ使っていたわけではありません。
うちは通信教育を受講していました。

今は海外に発送してくれるサービスがあるようですが、当時は祖父母の家に送付してもらい、祖父母に海外まで送ってもらっていました。

なので、2週間ほど遅れて届いていた記憶があります。毎月、ほとんどその月が終わった頃に届いていたのはいい思い出です。いつも届くのをワクワクして待っていましたね。

母は子供達に通信教育の教材を与えておしまいにはしませんでした。

基本的に丸付けは母にやってもらっていたのです。

そりゃ、小学生ですからズルをしたくなるものです。本当は問題を解いていないのに答えを見て写したりとか。そういうことができないように、母が答えの冊子を持っていて、丸付けをしていました。

一度、答えの冊子が私の手元にあったときにズルをしたことがいい思い出です。
私は算数が苦手で、どうしてもやりたくなくて、引き算の筆算の問題の答えを写したのです。でも、引き算の筆算なんて桁を消したり、途中計算を書いたりと、何かと「ちゃんと解いた跡」が残るはずですよね。
アホな小学生の時の私は、答えだけをそのまま写したので、ちゃんと解いていないことが一瞬でバレました(笑)

ちゃんと普段から母が監督してくれていたから、形だけの勉強ではなく身に付く勉強になったのだと思います。通信教育を日本の教育の軸にしていたので、その軸をぶらさないように徹底していたのでしょう。

学習漫画がたくさんあった

うちにはずらりと学習漫画がありました。

歴史、ことわざ、四字熟語、慣用句、天気について、体についてなど、いろいろなジャンルのものが揃っていました。

日本に住んでいても学習漫画は読ませるべきだと思いますが、海外にいたからこそ学習漫画が大切な役割を果たしていました。

日本にいれば、テレビや周りの大人たちから自然といろいろな情報が入ります。でも、海外に住んでいて英語の学校に通っていると、必然的に日本語をきく機会が減りますよね。

意図して取り入れようとしないと、「周りの人が使っていたから自然と覚えた」という風に慣用句がことわざなどを覚えることはできない環境にいるのです。

私のお気に入りは、ちびまる子ちゃんこち亀などの世界観でことわざや四字熟語などを教えてくれるシリーズの漫画でした。エンターテイメントとして何度も何度も読み返したので、自然と知識が定着しました。結構面白いんですよ。

漫画で実際にその語句が使われる状況を表現してあったりするので、堅苦しく覚えるのではなく、漫画のストーリーを覚えるように慣用句やことわざを覚えることができていました。

教科書の内容以外にも教えられていた

教科書や通信教育の教材に載っている以上のことを教えてくれていました。「日本人として知っておくべきこと」を叩き込まれましたね。

辞書の使い方

今の時代はスマホや電子辞書があるから、紙の辞書の使い方を教えないものなんでしょうか?
でも私が小さい時はまだ、紙の辞書を使えることが常識でした。

なので、紙の辞書を使う練習をしたものです。

日常会話でも、わからないことがあると「辞書引いて」と言われて、いそいそと辞書を取りに行っていましたね。今考えると、辞書の引き方だけでなく、日本語の語彙を増やすことにも繋がっていたんでしょう。

1つ、記憶に残っているエピソードがあります。
土曜日の昼前にみんなで勉強していて、「最後に辞書で一言調べてからお昼ご飯に行こう」ということになったんです。
母は一階でご飯の準備をしていたので、父に課題を出してもらいました。

ちょうどその日の昼ごはんはチャーハンだったので、「チャーハン」と調べなさい、と言われて。
よりによって「チャーハン」です。ちっちゃい「や」の後に伸ばし棒ですよ。
結構時間がかかって、兄弟や両親は一階でお昼を食べ始めているのに、自分だけ「チャーハン」を探せなくて、涙ながらに焦って辞書を引いていた記憶があります。

辞書の引き方を覚えなければご飯にありつけないというスパルタ教育ですね(笑)

九九を覚えさせる

算数の基礎中の基礎、九九の練習をしていました。

九九は、算数が大の苦手だった私にとって地獄でした。
でも両親にとっての方が地獄だったことでしょう。

教科書で淡々と勉強するだけでは覚えられないのが九九です。でも基礎はとても大切ですよね。学校で友達と覚えてこない分、家でやらなければいけませんでした。

私はいつまでも覚えられなくて、というか九九をしないといけないのが苦でいつも泣き叫んでいました(笑)文字通り。

あまりに泣いて(九九に)抵抗したからか、廊下で正座をしながら1の段から唱えていた覚えがあります。うちの伝説となるほどの嫌がりようでしたね。10年以上経った今でも、「あの九九を泣いて嫌がっていたあなたが大きくなったね」と言われるほどです。

そこまで嫌がる子供に、辛抱強く九九を覚えさせてくれた両親に感謝しています。
今でも数学は苦手ではありますが、経済学部の数学重視の履修タイプで無事に大学生をしているのも、あの時の両親のおかげです。

国歌を教える

これぞ、日本人としての常識。国歌も教えられていました。

学校に車で送り迎えしてもらっていたので、車の中で国歌の練習をしました。

日本語の勉強には関係ないことかもしれないけれど、「日本人」を育てていく上で教えておくべきことだとの判断だったのだと思います。

実際、学校の朝礼で歌わされていたケニアの国歌は歌える三兄弟でしたから、日本の国歌も教えておかなきゃおかしかったのです。

おわりに

10年以上前のことですが、私の母がしてくれた日本語教育(日本人教育?)を紹介しました。
1つでも参考にしてもらえたら嬉しいです。

海外で日本人のアイデンティティを保った子供を育てようとすると、本当に苦労するのだろうと思います。私は子供側だったので、その苦労を理解することはできませんが、母の話を聞くとその努力に感謝が溢れます。

私が海外から日本に帰ったときも、言語のハンデなく馴染むことができたのは、常に日本語教育が行き届いていたからだと思います。

ちなみに、母が子供達の教育を考えて日本人学校からインターに転校させることを決めた経緯を書き記したエッセイがあります。当初は「絶対日本人学校に通わせる」と思っていたそうですが、あることを理由に「家で日本語の面倒をみて、学校はインターに通わせる」という考えに変わっています。

当時の母の言葉で書いてあるので、ぜひ。