「ショパンのトリビア」出たっきり邦人@ポーランド第6回

このエッセイは3人の子供を連れてポーランドに住んでいた母が、2008年4月に書いたものです。

「出たっきり邦人・欧州編」というメルマガで配信していた内容を、一部編集して紹介しています。

ポーランドワルシャワ発〓

ポーランド便り 第6回 「ショパン

ショパンについて問題です。

1.ショパンはどこの出身か?
2.ショパンは何歳まで生存したか?
3.ショパンの誕生したのは西暦何年?
4.ショパン国際コンクールは何年ごと?

1.ショパンはどこの出身か?

ポーランドの出身です。母親はポーランド人、父親はワルシャワでフランス語教師をしていたフランス人。ワルシャワから西に50キロのジェラゾヴァ・ヴォラというところで誕生しました。ここは現在博物館になっており、夏の間には日曜日にピアノのリサイタルなども行われます。

ピアノのリサイタルといえば、ワルシャワの中心にあるワジェンキ公園でも夏の間の休日には野外コンサートが行われます。この広場には大きなショパン像があり、市民の憩いの場です。この広場から流れてくる音楽とともに散歩をするのは、とても気持ちいいですよ。

ワルシャワでは幼い頃から有名だったショパンですが、20歳のときに祖国ポーランドを出て、更なる音楽の勉強のためにウィーンに旅立ちます。そして、二度と祖国に戻ることはありませんでした。しかも、彼の作曲家としての活躍の舞台はパリが中心。ショパンはフランス人とのハーフでもありますし、ショパンにとってはフランス人としてのアイデンティテイが強かったのでは?と思っていたのですが・・・。

彼の祖国への思いはとても強かったようです。家族はずっとポーランドに住んでいたし、その頃のポーランドは情勢不安で革命などが勃発していたので、帰りたくても帰れない、それなのに大切な家族はポーランドにいる、ということでいつも心はポーランドにあったのでしょう。

実はショパンの時代、地図にはポーランドという国は存在しませんでした。彼の望郷の念の強さと、ポーランド人としての意識の強さは、彼の作曲したポロネーズマズルカに反映されています。最近はショパンの曲をきくと、切なくなることが増えました。今飛行機で簡単に故郷に帰れる私達はなんて幸せなんだろう、とおもったりして。

彼の墓地はパリにあります。でも心臓だけは遺言でポーランドに帰ってきています。今では、ワルシャワにある聖十字架教会の柱の中に保管されているので、私もお参りに行ったことがあります。気軽に入りやすい教会なので、機会があったら訪れてみてください。

ここの近くには、ショパンワルシャワ時代に住んでいた場所(博物館になっています)や、子供時代にオルガンを弾いていたヴィジトキ教会があります。このヴィジトキ教会は、周りの建物と比べてかなり黒ずんでいます。なぜか?ワルシャワは、ワルシャワ蜂起の後にほとんどの建物が破壊されたので、旧市街を含めほとんどは戦後に再建されたものです。

ただ、この教会だけは奇跡的に全焼を免れたので、ほかの建物よりもずっと古く、黒ずんでいるのです。教会のオルガンは当時のものではないようですが、ショパンがオルガンにたどり着くまでにつかった木製階段は当時のままだそうです。

2.ショパンは何歳まで生存したか?

39歳。幼い頃から病弱で、風邪などをひくと血を吐くことなども多かったようです。妹も肺結核で幼いときになくなっていることもあり、中にはショパンが肺結核だったと書いてあるものもありますが、それは確かではないようです。でも、病弱で何度も死の淵をさまよい、ついには39歳の若さでなくなってしまいました。

それでも「ジョルジュ・サンド」という女性がいなかったら、ショパンはもっと早くに亡くなり、名曲の数々もこの世に生み出されないままだったかもしれない、というように私は思っております。彼女とショパンの話はここでは割愛いたしますが、興味のある方はぜひ読んでみてください。

彼女の紹介で画家のドラクロワとも親交が深かったようです。ドラクロワ作のショパンジョルジュ・サンドが一緒の絵画があったようですが、今では途中別れた2人を象徴するかのように、パリとコペンハーゲンに別々の絵画として保管されているようです。

3.ショパンの誕生した年は西暦何年?

1810年。およそ200年前です。ナポレオン、リスト、ベートーヴェンシューベルトメンデルスゾーンなどが同時代の人たちです。ずっと昔の人というイメージでしたが、なんとショパンの写真が現存しています。きちんと残っているのはたった1枚ですが、写真があるというだけで、距離がずっと近くなったような気がしますよね。

4.ショパン国際コンクールは何年ごと?

ショパン国際コンクールは1927年に創設され、5年ごとにワルシャワにて開催されています。1918年にポーランドは悲願の独立国家となります。そして、「フランスのものになりかかっていたショパン」を取り戻すべく、「ポーランドショパン」としてのショパン国際コンクールを創設したのです。

ショパンの音楽を聴くときには、ぜひこの時代の背景、ショパンポーランドへの慕情などを想いながら聴いてみてください。きっと目の前にはヨーロッパの田舎、ワルシャワが広がってくるはずです。

ショパンが好きなあなたはぜひワルシャワに遊びに来てくださいね。