世話が必要な義母だけど、私は「義母ガチャ」に成功してると思う

ここ数年でよく聞くようになった「親ガチャ」。親は選べないけど、どんな親の元に生まれてくるかによって人生が左右されるってことらしい。これで言うと私は親ガチャには成功(?)していると思う。父とは疎遠になっているけれど、母とは今でもよくビデオ通話をする仲だし、育ってきた環境も恵まれていた。

だけど「義両親ガチャ」はどうだろう?今勝手に作った言葉だけれど、親を選べないように、義両親も選べないと思う。パートナーは選べるけれど、相当なことがないとパートナーの両親が100点じゃないからという理由で別れることはない。

結論から言うと、私は義両親ガチャも成功していると思う。でも、彼と付き合って2年くらいのときなら、義両親ガチャは失敗だと思ってたかもしれない。

義父はいろいろあってもう彼の家族全員から縁を切られている。私は会ったこともないしこの先会うこともないと思うので、ノーカウント。だから実質私にとっては「義母ガチャ」だ。

義母は重度のヘルニアとなんかいろいろ(何度聞いても覚えられない)で、補助なしで歩くことができない。車の運転もできないし、人が運転する車でも乗れるものが限られている。ゴミ出しもできない。しかもかなり辛い過去を持った人なので、精神的にもちょっと不安定。元々は看護師をしていたが、この状態なので今は働けない。生活費は全て息子(ということはうちの家計)が払っている。私がスウェーデンに来るまでは、私のパートナーは義母のサポートをするために一緒に住んでいた。

ここまでだけ読むと義母ガチャ失敗じゃない?と思うかもしれない。そう、私もたまにブラックな気持ちになることはある。けどやっぱりちゃんと考えると、私はこの義母でよかったと思う。

義母はとても強くて優しい人だ。もともと自分の会社をいくつも経営していたガッツのある女性で、精神的に追いやられているときでもそんなガッツが見え隠れする。息子たちの育て方も芯があって好き。いつか孫ができたときも、この人の教育方針なら安心して預けられると思う。趣味も私と似ているし、意見の押し付けとかも全くない。嫌なことを言われたこともないし、むしろいつも気にかけてくれている。

彼女の状況に置かれたとき、彼女ほど「いい人」でいられる人はなかなかいないと思う。自分の体が思うように動かなくて、常に痛みに苦しみ、経済的にも生活的にも自立できない。正直ちゃんと想像できないくらいだ。だけど彼女はいつも笑っているし、自分にできることを見つける努力をいつもしている。息子が私と一緒に住むために引っ越したときも、かなり不安だっただろうに私は嫌味ひとつ言われなかった。

正直、義母が50代の今からもうすでに介護が始まっているようなもので、彼女が歳をとったらもっと介護が必要になるのは目に見えている。でも人間いつ誰が病気になったり事故に遭ったりするのかなんて分からなくて、超健康体の人も急に介護が必要になることだってある。そんなとき、人間として尊敬できる人を介護したいなぁと思った。

だから私は「義母ガチャ」に成功していると思う。20代の私たち、金銭的に余裕はあまりないので、義母の生活費も負担しているとなるとやっぱり家計を見て悲しい気持ちになることがある。将来が不安になることもあるし、義母サポート関連でやることが多くてストレスが溜まることもある(パートナーが9割やってくれてるけどね)。

そんなとき彼女の人柄を思い出して「いや、義母ガチャ成功じゃん」って思えるといいな。こんないい人、なかなかいない。